この記事で、あなたに伝えたいこと
- 交通事故で最愛の息子を亡くした母親が、事故の悲劇に加え「賠償金が入っていいね」という心ない言葉による、深刻な「二次被害」に苦しんでいます。
- その無神経な言葉の裏には、他人の痛みへの想像力の欠如や、SNS時代の匿名性という、現代社会の根深い病巣が隠されています。
- 本当に悲しみに寄り添うとは何か? 答えは安易な励ましではなく、「ただ、そばにいる」という沈黙の姿勢の中にあります。
- 一人の母親は、息子の夢だったコーヒーを手に、絶望の淵から立ち上がりました。その一杯が今、悲しみを力に変え、社会に支援の輪を広げています。
「賠償金が入って、よかったね」――あなたは、愛する人を亡くした人に、この言葉をかけられますか?
「息をしていない」「死んだ」—。その電話が、日常を根こそぎ破壊するとは、誰も思っていませんでした。2019年7月、バリスタになる夢を追い東京で暮らしていた長男・忍さん(当時29歳)を、仕事中の事故で突然失った深迫祥子さん。この悲劇は、RSK山陽放送の報道で多くの人々の心を揺さぶりました。
これは、決して他人事ではありません。警察庁の統計によれば、日本国内では年間数十万件もの交通事故が起き、毎日どこかで誰かの命が理不尽に奪われています。あなたや、あなたの愛する人が、いつその当事者になってもおかしくないのです。しかし、本当の地獄は、事故そのものでは終わりません。
愛する人を失った交通遺族は、計り知れない悲しみの中、さらに周囲からの無理解や心ない言葉という「二次被害」に晒されます。それは、魂を殺すもう一つの暴力です。この記事では、深迫さんの壮絶な体験を道しるべに、なぜ人は無自覚な「加害者」になってしまうのか、その深層をえぐり出します。そして、私たちが悲しみの隣人としてできる、唯一で最善の方法を考えていきたいと思います。
なぜ人は、悲しむ人に「言葉のナイフ」を突き立てるのか?
突然、息子を奪われた深迫さんを待っていたのは、悲しみだけではありませんでした。それは、想像を絶する二次被害という名の、終わらない悪夢の始まりでした。数々の心ない言葉のなかで、特に彼女の心を抉ったのは、ある人物から投げかけられた一言でした。
「交通遺族はいいですよね。賠償金が入るから」
命の値段を語るかのような、あまりにも無神経で、残酷な言葉。なぜ、人はこれほどまでに冷酷になれるのでしょうか。悲しみの淵に立つ人へ、なぜ追い討ちをかけるような言葉を向けられるのか。その背景には、私たちの社会が抱える、根深い病理が横たわっています。
なぜ私たちは「他人の痛み」を想像できないのか?
その根底にあるのは、あまりにも残酷なほどの「想像力の欠如」です。私たちにとって、交通事故で家族を失うという経験は、どこか遠い世界のニュースのように感じられてしまう。だから、遺族がどんな煩雑な手続きに追われ、どれほど精神的に消耗し、人生そのものが根底から覆されるのか、リアルに想像することができないのです。
その想像力の欠如が、どれほど現実と乖離しているか。ある調査データがそれを突きつけます。
多くの人が、事故による負傷や精神的ショックといった「直接的被害」だけでなく二次的な被害を被っている。
この調査で「家庭内の人間関係が悪化した」「経済的に苦しくなった」といった声が並ぶ現実を見れば、「賠償金で解決」という見方がいかに浅はかか、痛感させられます。当たり前です。お金で、愛する人の命が戻ってくるはずがないのですから。
匿名という名の凶器。SNSがあなたを「加害者」に変える
そして今、この無自覚な加害性に拍車をかけているのが、ご存知SNSの存在です。顔の見えない匿名空間では、誰もが批評家になり、憶測や偏見に基づいたコメントが何の抵抗もなく投下されます。「なぜそんな時間にそこにいた?」「親の監督不行き届きだ」。悲劇のニュースが流れるたび、被害者や遺族を責める声が、まるで正義であるかのように溢れかえる光景を、あなたも目にしたことがあるはずです。
なぜ、私たちはこんなにも簡単に「被害者たたき」に加担してしまうのでしょうか。それは、複雑な現実を単純な物語に落とし込み、「自分は正しい」と確認したいという歪んだ欲求、「認知バイアス」が働くからだと言われます。あなたが何気なくタイプしたその一言が、遺族の心をズタズタに切り刻んでいるとは、夢にも思わずに。
絶望の淵から立ち上がった母。息子の夢だった一杯のコーヒーが、社会を動かし始めた
「これが、人間の顔なんだろうか」。変わり果てた息子の亡骸を前に、深迫さんは言葉を失いました。しかし、彼女はただ闇に沈むことを選ばなかった。四十九日を終えたとき、彼女の中で、一つの決意が芽生えます。それは、息子の夢を、この手で叶えることでした。
忍さんには、故郷の熊本でコーヒーショップを開くという、具体的な未来の設計図がありました。
熊本に戻ったらコーヒーショップを開き、恋人にコーヒーを淹れてもらい、自分は焙煎やプロデュースを担当する。店の隣には焙煎場とガーデンを作り、子どもたちがたくさん来て、多くの人が癒される場所にしたいと語っていました。
「これが人間の顔なんだろうか」事故で亡くなったバリスタの息子(当時29) 母親が語る二次被害とは「交通遺族はいいですよね。賠償金が入るから」【前編】RSK山陽放送
彼の夢の続きを生きるために、深迫さんは熊本市でカフェをオープン。そして、その場所を拠点に、自らの体験を語り、交通遺族を苦しめる二次被害という不条理を社会に問いかける活動を始めたのです。全国での講演、コーヒーを片手に被害者支援を学ぶ「Coffee aid day」の開催。なぜ、彼女は自らの傷をえぐりながらも、声を上げ続けるのでしょうか。
それは、息子の生きた証をこの世に残したいという母の執念。そして、これ以上、自分と同じ苦しみを誰にも味わってほしくないという切なる願い。彼女の戦いは、もはや個人的な悲しみの吐露ではありません。それは、悲しみを社会を動かす力に変え、無理解と無関心の連鎖を断ち切ろうとする、未来への力強いメッセージなのです。一杯のコーヒーは、亡き息子と社会をつなぎ、支援の輪を広げるための、温かく、そして力強い媒体となっています。
私たちが「言葉の加害者」にならないために。今日からできる3つの心構え
もし、あなたの友人や同僚、あるいはSNSでつながる誰かが、ある日突然、大切な人を失ったら。その時、あなたはどうしますか?良かれと思ってかけた言葉が、相手を奈落の底へ突き落とす凶器にならないために。ここでは、「グリーフケア(悲嘆ケア)」の視点から、私たちが心に刻むべき3つの姿勢を提案します。
心構え1:「頑張れ」は、時に暴力になる
良かれと思って、あなたはつい口にしてしまうかもしれません。「頑張って」「元気を出して」「時間が解決してくれるよ」。しかし、その言葉が、相手にとって「今の悲しんでいるあなたではダメだ」という、耐え難いプレッシャーとしてのしかかる可能性を、考えたことはありますか?
専門家も、その危険性をはっきりと指摘しています。
「あたらしい人生に進まないとだめ」などのアドバイス、「あなたががんばらないとだめ」などの適応の鼓舞、…(中略)…「あなたの気持ちはわかります」と家族の感情を理解したような表現や態度は、『役に立たない援助』と言われています。
あなたの役目は、相手を立ち直らせることではありません。悲しむ時間、悲しむ権利を奪わないこと。それが、本当の意味での「寄り添い」の第一歩です。
心構え2:「あなたの気持ち、分かるよ」は禁句
もう一つ、私たちが陥りがちな罠があります。それは「あなたの気持ち、分かるよ」という、共感のつもりで発せられる言葉です。断言しますが、あなたにその人の気持ちは分かりません。その人だけの、唯一無二の喪失体験を、他人が完全に理解することなど、絶対に不可能なのです。「誰にも分かってもらえない」という絶望は、遺族を深い孤独の闇へと突き落とします。
ましてや、事故の状況について憶測で語ることなど論外です。SNSで断片的な情報をつなぎ合わせ、勝手なストーリーを組み立てて被害者を批評する行為。それは、もはや二次被害などという生易しいものではありません。遺族の尊厳を土足で踏みにじる、言語道断の暴力です。
心構え3:最強の支援は「何もしない」こと
では、私たちは一体どうすればいいのか。励ましもダメ、安易な共感もダメ。なら、何ができるというのでしょうか。答えは、驚くほどシンプルです。それは、「ただそばにいて、話を聴く」こと。
専門家たちが口を揃える、唯一にして最善のサポート。それは、何かを「する」ことではなく、ただ「いる」ことなのです。
ケアする側としてできることは、まずは傾聴。…(中略)…最初のうちはとにかく家族に寄り添い、話を聞くことを重視している。家族が気持ちを語る中で、希望を見出していってくれればと思っている。
気の利いた言葉など、探さなくていい。沈黙が怖くても、無理に言葉を紡ぐ必要もないのです。ただ静かに隣に座り、黙って話に耳を傾ける。遺族が自分のペースで感情を吐き出せる「安全な港」になることこそ、最高のサポートです。「大変だったね」と相槌をうち、相手が泣くなら、ただ黙ってティッシュを差し出す。その態度こそが、「あなたは一人じゃない」という、何よりも力強いメッセージになるのです。
もう、「言葉のナイフ」を振りかざさない。私たちにできる、確かな一歩
「賠償金が入っていいね」。この記事を読んだあなたはもう、この言葉がどれほどの破壊力を持つか、理解しているはずです。交通遺族が直面する二次被害は、単なる個人の無神経さの問題ではありません。それは、他人の痛みに鈍感になり、悲劇すらエンタメとして消費してしまう、この社会全体の病です。
深迫さんは、悲しみを乗り越えるのではなく、悲しみと共に生きる道を選びました。息子の夢だったコーヒーショップは、今や二次被害という社会の歪みを照らし出し、同じ痛みを抱える人々をつなぐ希望の灯台となっています。彼女が始めた「Coffee aid day」は、私たちがこの問題について考え、行動を始めるための、小さな、しかし確かなきっかけを与えてくれます。
この記事を閉じた後、あなたにできることがあります。それは、次に悲劇のニュースに触れたとき、憶測や非難の言葉を飲み込み、遺された人々の計り知れない痛みに、ほんの少しだけ思いを馳せること。そして、もしあなたの隣人が悲しみに暮れていたら、賢いアドバイスではなく、ただ静かに寄り添う勇気を持つことです。言葉のナイフを振りかざす社会から、そっと隣に座れる社会へ。その変化は、あなたの一歩から始まります。


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