「子グマ殺すな」は感情論か?熊の駆除と共存の課題を解説

奥深い森の中でこちらを見つめるツキノワグマ。熊の駆除が抱える問題点と、野生動物との共存の必要性を考えさせられる一枚。 社会
人間の生活圏の拡大が、野生動物との軋轢を生む一因とされている。

この記事のポイント

  • クマによる被害が深刻化する今、「捕殺か、保護か」という単純な二元論では、この問題の本質を見失ってしまいます。
  • クマが人里に現れる根本原因は、①気候変動によるエサ不足、②過疎化による里山の荒廃、③クマの人慣れという3つの要因が、まるで悪夢のパズルのように絡み合っているのです。
  • 捕殺一辺倒ではない現実的な解決策として、科学的データに基づき人とクマの生活圏を分ける「ゾーニング(棲み分け管理)」という『賢い棲み分け』に、解決の光が見え始めています。
  • これは地方だけの問題ではありません。私たち社会全体で「人と自然の境界線」をどう引き直すのか、その覚悟が問われています。

「またクマのニュースか…」で終わらせてはいけない、本当の理由

「クマ出没、市街地にも」「被害者数は過去最多」——。「またか…」テレビから流れるニュースに、あなたはため息をついていないでしょうか? 2023年度のクマによる人身被害は全国で217人。これは、記録が残る中で最悪の数字です(森林・林業学習館)。断言します。これはもはや、遠い山の話ではありません。

イベントの中止、子どもの登下校に付き添う親の列…。あなたの日常が、すぐそこまで迫る野生の影に、静かに脅かされ始めているのです。かつて「クマは奥山にいるもの」という常識は崩れ去りました。いつ、どこで遭遇してもおかしくないという現実が、言いようのない不安を社会に広げています。この問題は、単なる野生動物とのトラブルではない。私たちの暮らしのあり方そのものが問われる「社会全体で向き合うべき課題」へと、その姿を変えたのです(日本総研)

「殺せ」「守れ」か。そんな単純な感情論では、何も見えてきません。この記事では、その対立から一歩踏み込み、なぜ彼らは私たちの前に姿を現すのか、その根深い原因を徹底的に解き明かします。そして、専門家の声に耳を傾けながら、私たちとクマが“共存”するための、現実的な道筋を探っていきましょう。

「殺せ」vs「かわいそう」――なぜ、クマをめぐる議論はいつも平行線なのか?

この問題を語ろうとすると、必ず2つの声が激しくぶつかり合います。一つは、人の命こそ最優先であり、危険なクマの駆除は当然だという声。もう一つは、殺すだけでは根本的な解決にならないと訴える声。なぜ、これほどまでに議論はすれ違うのでしょうか。両者の言い分に、じっくりと耳を傾けてみましょう。

「明日は我が身だ」――安全を求める悲痛な叫び

想像してみてください。もしあなたの家のすぐそばで、毎日のようにクマが目撃されたら? 子どもを一人で遊びに行かせることができますか? 命の危険と隣り合わせの地域にとって、人里に侵入し、危害を加える可能性のあるクマの駆除は、きれいごとでは済まされない、やむを得ない選択肢なのです。政府もこの事態を重く見て、緊急時に猟銃を使える人材を増やすなどの対策に乗り出しています。

これは、単なる恐怖心だけの問題ではありません。地域のイベントは中止に追い込まれ、保育園や小学校では送迎の強化を余儀なくされる。住民は常に張り詰めた緊張の中で暮らしています。私たちの平穏な暮らしそのものが、根底から揺さぶられているのです。「まずはこの危険を取り除いてくれ!」――その悲痛な叫びは、決して無視できるものではありません。

「その場しのぎで未来を潰すな」――保護団体の知られざる本音

一方で、「捕殺だけでは何も解決しない」と強く警鐘を鳴らす人々がいます。自然保護団体「日本熊森協会」です。2025年11月6日、彼らは環境大臣に緊急要請書を提出し、会見でこう訴えました。

捕殺だけでは問題が解決しないことは、これまでの状況から明らかです

弁護士ドットコムニュース11/6(木) 19:15

彼らの主張の核心は、「なぜクマは出てくるのか?」という“原因”にこそ、対策の光を当てるべきだという点にあります。クマを人里に寄せ付けないための「被害防除」や、彼らの棲み家である「森の再生」にこそ予算を投じるべきだと、長期的な視点を求めているのです。彼らは捕殺を全否定しているわけではありません。しかし、今のやり方では「絶滅寸前まで捕殺し続けることになる」と、その場しのぎの対策が招く未来に強い危機感を抱いています。

ちなみに、SNSで囁かれる「熊森が自治体へのクレームで捕殺を止めている」という噂。これについても、彼らは会見で「全くの事実無根です」とキッパリ否定しています。

【核心】クマは悪くない。彼らを人里へ追いやる「3つの不都合な真実」

「殺せ」「守れ」の議論が噛み合わないのは、問題の“本当の原因”が見えていないからです。なぜ、これほどまでにクマは私たちの生活圏に現れるようになったのでしょうか。その背後には、あなたがまだ知らないかもしれない、3つの構造的な変化が横たわっています。

真実①:飢えたクマがさまよう「空っぽの森」

彼らが人里に下りてくる最大の引き金、それは、シンプルに「飢え」です。クマの主食であるブナやドングリが、森から消えているのです(森林・林業学習館)。特に、冬眠前に大量のエネルギーを蓄えなければならない秋。森が空っぽになれば、彼らは生きるために食べ物を求めてさまようしかありません。その先に人里があるのです。2025年も東北地方ではブナが「大凶作」と予測されており、息の詰まるような緊張が続いています(PRESIDENT Online)

しかし、問題はもっと根深い。「今年の不作」の裏には、気候変動という巨大な影が忍び寄っています。

温暖化によって、ブナ科の木の生理的なサイクルそのものが変化しているのです。凶作の頻度が増えれば、クマが十分な餌を得られない年が増えることを意味します。

私たちが見落としている3つの構造変化:クマ出没の裏にある”見え …

気候変動が、森のリズムを狂わせている。さらに、近年各地で広がる「ナラ枯れ」や、メガソーラー建設のための森林伐採が、彼らの最後の砦である棲み家と食料庫を、静かに、しかし確実に奪い去っているのです。

真実②:人が消え、境界が消えた「無法地帯の里山」

かつて、私たちの祖先は賢明でした。人の生活圏と野生動物が棲む奥山との間に、「里山」という絶妙なクッションを置いていたのです。しかし、今やその「緩衝地帯」は見る影もありません。人口減少と高齢化の波が、里山から人の営みを奪い、放棄された土地が急速に荒れ果てています(日本総研)

これが何を意味するか、お分かりでしょうか? 手入れされず、草木が生い茂った耕作放棄地は、クマにとって最高の隠れ場所。人と動物の境界線は曖昧になり、クマからすれば、人里まで続く「緑の回廊(レッドカーペット)」が敷かれたようなものなのです。おまけに、収穫されずに放置された柿や栗は、彼らを招き寄せるご馳走と化しています。

真実③:人間をナメ始めた「新世代アーバンベア」の恐怖

そして最も厄介なのが、クマ自身の“進化”です。彼らはもはや、昔話に出てくるような臆病な森の住人ではありません。かつては狩猟の対象として、銃や犬に追われることで人間への恐怖心を刷り込まれてきました。しかし、ハンターの減少と共に、その緊張関係は過去のものとなりました(森林・林業学習館)

その結果、生まれたのが、人間を恐れない「人慣れ」したクマたちです。彼らは平気で昼間に行動し、一度でもゴミや農作物の味を覚えれば、その場所に執着するようになります。こうして、都市周辺をテリトリーにする「アーバンベア」が誕生するのです。私たちは、人を恐れず、都市の環境に適応した「新世代のクマ」という、新たな脅威と向き合わなければならないのです。

絶望の先にあった「第3の選択肢」――科学が示す唯一の共存策とは?

ここまで見てきたように、問題はあまりに複雑で、その場しのぎの駆除では根本的な解決にならないことは明らかです。では、もう打つ手はないのでしょうか?いいえ。感情論や対立を乗り越えるための「第3の道」が、確かに存在します。その鍵こそが、科学的データに基づいた「ゾーニング(棲み分け管理)」という考え方です。

答えは「棲み分け」にあり。人とクマの“境界線”を引き直すゾーニング計画

「ゾーニング」と聞くと難しく感じるかもしれませんが、要は、人とクマの間に、もう一度ハッキリと「境界線」を引き直そう、という極めて合理的なアプローチです。国もこの導入を後押ししており(環境省)、地域を役割ごとにこう切り分けます。

  • 排除地域(市街地・集落):人の生活を守る絶対安全圏。クマの侵入は許さず、定着した個体は原則として捕獲・除去します。
  • 防除地域(農地・里山):人とクマが接する最前線。電気柵の設置や誘引物の徹底除去で、クマを「ここに居てはいけない」と学習させます。
  • 緩衝地帯:防除地域と保護地域の間のエリア。藪を刈り払って見通しを良くし、クマが隠れにくい環境を作ります。
  • 保護地域(奥山の森林):クマ本来の聖域。ここは原則として保護し、彼らが安心して暮らせる場所を確保します。

このようにエリアごとにルールを明確にすれば、「どこにいる、どんなクマを、どうすべきか」という判断基準が生まれます。闇雲な捕殺ではなく、科学的根拠に基づいた計画的な管理が可能になるのです。すでに富山県や新潟県などでこの取り組みは始まっており、住民と行政が膝を突き合わせて計画を作るプロセス自体が、問題意識を共有する良い機会にもなっています(環境省)

理想論では終われない。現場をむしばむ「担い手不足」という現実

しかし、どんなに優れた計画も、実行する人間がいなければ絵に描いた餅です。ゾーニングを機能させるには、電気柵の設置や、クマを追い払うといった地道な作業が欠かせません。その最前線に立つべき狩猟者(ハンター)が、今、絶滅の危機に瀕しています

1975年度に約52万人いたハンターは、2020年度には約22万人にまで激減。しかも、その6割が60歳以上という深刻な高齢化に直面しています(損保総研)。まさに、日本の構造的な課題が、ここにも暗い影を落としているのです。自治体が職員としてハンターを雇う「ガバメントハンター」制度など、新たな担い手を確保する仕組み作りが待ったなしの状況です。

もう他人事じゃない。この問題に、あなたが今すぐできること

クマ問題は、人と自然の関係を映し出す鏡です。感情的な対立を乗り越え、持続可能な未来を見出すために、私たち一人ひとりに何ができるのでしょうか。

「地方の問題でしょ?」その無関心が、状況を悪化させている

「大変なのは地方の人たちだよね」――もしあなたがそう思っているなら、その認識を少しだけアップデートする必要があります。実は、あなたの生活が、遠く離れた山のクマを人里に追いやっているかもしれないのです。例えば、あなたが都市で使う電力が、地方のメガソーラー建設による森林伐採につながっているとしたら? 安い輸入木材に頼る私たちの暮らしが、国内の林業を衰退させ、管理されない森を増やしているとしたら?

この問題は、「都市部 vs 地方」という対立構造で見ていては、決して解決しません。社会全体がつながって引き起こしている課題なのです。都市に住む私たちにも、できることはあります。山へ行くならゴミは必ず持ち帰る。ふるさと納税で鳥獣害対策に取り組む自治体を応援する。それも立派な参加です。

今日から始める、小さな一歩が未来を変える

さあ、ここからはあなたの番です。それぞれの立場でできる、具体的なアクションを見ていきましょう。

  • 地域にお住まいの方へ:生ゴミやコンポストの管理を徹底してください。庭の柿や栗は、クマへの「招待状」です。早めに収穫するか、伐採を検討しましょう。そして、地域の対策会議には積極的に顔を出し、あなたの声を届けてください。
  • ハイキングやキャンプで山に入る方へ:クマ鈴やラジオで、あなたの存在を知らせることが最大の防御です。食べ物の匂いは彼らを強力に惹きつけます。密閉容器は必須。そして、決して一人で行動しないでください。
  • この社会に暮らすすべての方へ:まずは、この問題に無関心でいないこと。あなたがお住まいの自治体の鳥獣害対策を調べてみてください。そして、「捕殺か保護か」という安易なレッテル貼りをやめましょう。なぜ、こんな事態が起きているのか。その背景にある社会の歪みにまで想像力を働かせること。それこそが、解決への最も確かな第一歩です。

クマと人間の間に、かつてのような「見えない境界線」を取り戻す旅は、決して平坦ではありません。しかし、絶望するのはまだ早い。科学の目と、私たち一人ひとりの小さな意識の変化。その二つが噛み合った時、きっと未来への道は開けるはずです。この複雑で、時に胸が痛む問題から目を背けず、社会全体で知恵を絞ること。今、私たちに問われているのは、その覚悟なのです。

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