この記事でわかること
- なぜ「自衛隊頼み」は危険なのか? 橋下徹氏が鳴らした警鐘の真意。
- 「銃は使えず、装備も不向き」…最強組織・自衛隊の派遣を阻む、法律と現実の壁。
- 日当8000円で命を張る現実。すでに崩壊寸前の日本のハンター制度の実態。
- クマ問題は「地方の安全保障」。専門家への正当な対価こそが、唯一の根本治療である理由。
「自衛隊を呼べ!」は悪手だった? 橋下徹の“暴論”が暴く、日本の不都合な真実
「何でも自衛隊にお願いするのは反対だ」。秋田県で相次ぐクマの被害を受け、知事が自衛隊派遣を要請したことへの、元大阪府知事・橋下徹氏のこの発言。スポニチアネックスが報じた彼の主張は、多くの人の反感を買ったことでしょう。
「人の命がかかっているんだぞ!」「現場の苦労も知らないくせに!」…。過去最悪のペースでクマ被害が拡大する中、そんな怒りの声が上がるのも当然です。しかし、一呼吸おいて考えてみてください。もし、この“正論”に見える批判こそが、問題の本質から私たちを遠ざけているとしたら?
そう、この「クマ被害への自衛隊派遣」を巡る議論は、氷山の一角に過ぎません。その水面下には、高齢化で崩壊寸前のハンター制度、専門技術への不当に安い報酬、そして「住民の善意」にタダ乗りし続けた地方行政の限界という、日本社会が長年見て見ぬふりをしてきた、致命的な“病巣”が広がっているのです。この記事は、単に橋下氏の意見を解説するものではありません。クマ被害という鏡に映し出された、日本の不都合な真実に迫るものです。
なぜ最強のはずの自衛隊が「クマに手を出せない」のか?
住民の命が脅かされる緊急事態。「人も物資も足りず、限界を超えている」という秋田県知事の悲痛な叫びを聞けば、最強の組織力と装備を持つ自衛隊に頼りたくなる気持ちも分かります。しかし、橋下氏が指摘するように、「何でも自衛隊」という発想は、あまりにも現実を知らなさすぎるのかもしれません。そこには、法律と現実という、二つの巨大な壁が立ちはだかっているのです。
高すぎる壁①:法律が自衛官の引き金をロックする
あなたは、屈強な自衛隊員が銃を構え、凶暴なクマと対峙する…そんな光景を想像しませんでしたか? 残念ながら、それは幻想です。クマ駆除の現場で、自衛隊員が銃の引き金を引くことは原則として許されていません。自衛隊の武器使用は自衛隊法などで厳格に定められ、そのスコープに「鳥獣被害対策」は入っていないのです。日本経済新聞が指摘するように、過去の出動事例も、銃を使わない追い払いや罠の設置といった後方支援のみ。つまり、法律が自衛官の引き金を固くロックしているのです。
このもどかしい現実を、noteで自衛隊派遣の法的問題を考察するK.K.氏は、こう喝破します。
現行の鳥獣保護法の関係で駆除は法令上不可能自衛隊では原則不可能です。(グレーゾーンはいちおうある)最初は余計な荷物になるので丸腰でいいでしょう。
信じられますか? 仮にクマ被害に自衛隊が派遣されても、彼らはヒーローにはなれないのです。箱ワナの設置や見回り、運搬といったサポートに徹し、最終的に銃を手にクマと対峙するのは、いつもの地元の猟友会。これが、私たちが直視すべき現実です。
高すぎる壁②:ミスマッチな武器、素人の練度。プロを投入する本当のリスク
「じゃあ、法律を変えればいいじゃないか」――そう思うかもしれません。しかし、仮に法改正が実現したとしても、問題はさらに根深くなります。自衛隊が使う小銃の弾薬(5.56mm NATO弾)は、あくまで対人用に設計されたもの。ヒグマのような巨大な獣を一撃で仕留めるには、あまりに威力が足りないのです。
軍事的な視点からの指摘は、さらに衝撃的です。
現行の20式、89式の使用弾薬は5.56mmNATO弾のため、ヒグマを狩るには完全に威力不足です。(中略)ヒトに対してに例えると10gくらいの小石をポイポイ投げつけられるイメージじゃないかな。つまり当たりどころがよっぽど悪ければ死ぬけど、よほどのことがない限り致命の一撃(止め)にはなりません。ヒグマを逃すか怒らせて反撃されるかのどっちかでしょう。
そう、ヘタに撃てばクマを怒らせるだけ。まさに火に油を注ぐ行為になりかねないのです。自衛隊は国防のプロですが、野生動物の狩猟は専門外。クマの習性を知り尽くし、急所を正確に射抜く技術は、長年の経験を持つベテランハンターだけが持つ神業です。安易な派遣は、経験の浅い隊員を危険に晒し、手負いのクマという最悪の存在を生み出すリスクすらある。橋下氏の「災害、国防が一番」という言葉は、クマ被害への自衛隊派遣が決して万能薬ではないという、この不都合な真実を突いているのです。
日当8000円で命を懸けろと? 専門家を“ボランティア扱い”する国の末路
さて、ここからが本題です。自衛隊派遣に「ノー」を突きつけた橋下氏が、その代わりに強く訴えたこと。私が本当に注目すべき核心は、ここにあると考えています。それは「ちゃんとハンターに報酬を払って、ハンターの養成を」という叫びでした。番組内で「一応、8000円程度の手当てが出ている」と補足されるや、彼は「あんなリスクを負って8000円はない」と一蹴しました。このやり取りこそ、日本の鳥獣被害対策が抱える、最も根深く、致命的な問題そのものなのです。
「やればやるだけ赤字」専門家を使い潰す驚愕の報酬システム
あなたは、命の危険がある仕事の対価が「日当8000円」と聞いて、どう思いますか? 時給に換算すれば、コンビニのアルバイトと大差ない、いや、それ以下かもしれません。猟友会の報酬は自治体によって様々ですが、その多くがボランティアの延長線上にあるのが実態です(参考:ウェブサイト情報)。
しかも、ハンターは数十万円の猟銃や装備をすべて自腹で購入し、維持しています。ウクライナ侵攻で銃弾は3倍に高騰し、1発1200円を超えることも(出典:現代ビジネス)。出動のガソリン代も自己負担。信じられますか? 彼らは報酬をもらうどころか、“自腹”を切って私たちの安全を守っているのです。
もちろん、新潟県新発田市が緊急時に8000円を追加で支払う制度を設けたり、長岡市が1頭2万円の報奨金を出したりと、改善の動きもゼロではありません(出典:読売新聞)。しかし、それは焼け石に水。全国を見渡せば、専門家の善意と自己犠牲に依存する絶望的な構造は、何一つ変わっていないのです。
平均年齢60歳超。あなたの町の“守り人”は、もう限界かもしれない
この劣悪すぎる待遇が、何をもたらすか。答えは一つ。担い手の激減と、絶望的な高齢化です。環境省のデータによれば、狩猟免許を持つ人の約6割が60歳以上。あなたの町を守ってくれているハンターの顔を思い浮かべてみてください。その多くが、60歳、70歳を超えた大ベテランではないでしょうか。
持ち出しが多く、危険で、社会的なリスペクトも得られない。こんな世界に、若い世代が飛び込んでくるはずがありません。東京都猟友会の会長も、こう嘆いています。
「狩猟免許の取得者は東京だけで年間約1000人います。ただし、免許を取得するだけという方も多く、実際に狩猟を続けるのは200人程度です。一方で、高齢などを理由に毎年200人程度がやめています。そのため会員数が2000人弱という状態が続いています」
駆除の最前線に立つ人々が、静かに、しかし確実に消えていく。これはもはや、静かな危機などではありません。目の前で時を刻む、時限爆弾なのです。橋下氏の指摘は、この時限爆弾の導火線に、すで火がついていることを社会に突きつけた警告だったのです。
これはクマの問題ではない。日本社会を蝕む「善意へのタダ乗り」という病だ
ここまでの話で、もうお気づきかもしれません。そう、これは単なるクマと人間の戦いの話ではないのです。私がこの問題の根底に見るのは、日本の地方社会を静かに蝕んできた「善意へのタダ乗り」という、根深い病です。
私たちは、この問題を「地方の安全保障」という、まったく新しい視点から捉え直すべきなのです。国の安全保障(国防)を自衛隊が担うなら、地域住民の命と暮らしを守る「地方の安全保障」は誰が担うのか? 本来それは、自治体と地域の専門家であるはずです。クマの出没はミサイルとは違いますが、住民にとっては同じ命の危機。その最前線に立つハンターは、まぎれもなく地域の安全を守るプロフェッショナルなのです。
しかし現実はどうでしょう。彼らは「専門家」ではなく「ボランティア」として扱われ、「日当8000円」というもはや侮辱的な金額を提示されてきた。考えてみてください。これはハンターだけの話ではありません。地域の消防団、民生委員、伝統的な祭りの運営…。私たちの社会は、どれだけ多くのことを、住民の「地域のために」という善意と自己犠牲の上に成り立たせてきたことか。
橋下氏が言った「日本の政治行政は、民間をボランティア扱いしすぎ」という言葉が、すべてを物語っています。スキルや専門性、そして命の危険というリスクに、正当な対価を支払う。資本主義の鉄則であるはずのこの原則が、なぜか「公」が絡むと、いとも簡単にねじ曲げられてしまう。この国の隅々まで浸透した「スキルやリスクを安く買い叩くデフレマインド」が、ついに牙をむき始めたのです。
人口が減り、誰もが歳を取る社会で、もう「善意へのタダ乗り」モデルは通用しません。クマの牙は、その歪んだシステムの脆弱な部分を、容赦なく突き破ってきた。ただそれだけのことなのです。
結論:今すぐ自衛隊を呼ぶのをやめよう。私たちが本当に向き合うべき「3つの処方箋」
秋田県で深刻化するクマ被害への自衛隊派遣問題。橋下徹氏の発言をきっかけに、私たちはようやく、この問題の本当の姿に気づくことができました。
「自衛隊を呼べ」という声は、痛みを訴える患者にモルヒネを打つようなもの。一時的な痛みを和らげるかもしれませんが、病そのものは悪化し続けます。ハンターがいなくなれば、何度でも悪夢は繰り返されるでしょう。私たちが今すぐ始めるべきは、対症療法ではなく、根本治療です。
その処方箋は、すでに明確です。
- 処方箋①:専門家を「プロ」として遇し、正当な報酬を支払うこと。
危険な任務に当たるハンターを、ボランティアではなく「地域の安全を守る専門家」と位置づけ、そのスキルとリスクに見合った公的な報酬体系を国と自治体が責任を持って構築する。 - 処方箋②:若者が目指せる「キャリア」としてハンター育成システムを国が作ること。
免許取得、装備購入、技術継承までを公的に支援し、若い世代が誇りを持ってハンターを目指せるようなキャリアパスを整備する。 - 処方箋③:市町村の壁を壊し、広域で鳥獣害と戦う体制を築くこと。
一つの自治体では対応できない問題に対し、橋下氏が提案した「都道府県連合体」のように、自治体の枠を超えた広域駆除チームや対策本部を組織する。
クマの被害は、他人事ではありません。それは、私たちの社会が専門性やリスクをどう評価し、地域の安全をどう守っていくのかという、構造的な欠陥を突きつけています。安易な「自衛隊頼み」で思考を停止するのか。それとも、この痛みを、社会システムをアップデートする絶好の機会と捉えるのか。その選択は、今、この記事を読んでいる私たち一人ひとりに委ねられているのです。

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