眼球を奪われたジャーナリスト、ビクトリア・ロシチナ。彼女の遺体が告発するロシアの戦争犯罪と、声なき抵抗の物語
声なき遺体が問いかけるもの
ウクライナの首都キーウにある教会は、静かな悲しみと、それを押し殺すような重い空気で満たされていた。2025年のある日、多くの報道陣と友人たちが集う中、一つのひつぎが静かに横たわっていた。眠っているのは、ビクトリア・ロシチナさん。享年27歳。ロシアによる侵略の現実を世界に伝え続けた、若く才能あるジャーナリストだった。
しかし、彼女の帰国はあまりにも無慈悲な形だった。ロシア側から「遺体交換」によって返還された彼女の遺体が入っていた袋には、信じがたい言葉が記されていた。「NM」—「身元不明の男性(Neizvestnyy Muzhchina)」を意味するコードだ。
袋を開けた人々が目にしたのは、変わり果てたビクトリアの姿だった。長く美しかった髪は無残に剃られ、DNA鑑定がなければ本人と識別することすら困難なほどだった。だが、彼女の身体が語る物語は、単なる身元の誤認では済まされない、戦争の最も暗い闇を告発していた。
脚には無数のやけどと切り傷。肋骨は折れていた。それらは、彼女が受けたであろう凄惨な拷問の痕跡を物語っていた。そして、最も異常だったのは、遺体の一部が意図的に摘出されていたことだ。脳、眼球、そして気管の一部が、彼女の身体から奪われていた。それは、絞殺の際に決定的な証拠が残る部位だった。
この記事は、一人の勇敢な女性記者の死を悼むだけの追悼記事ではない。これは、声なき遺体が放つ最後の告発を読み解き、情報が兵器となる現代の戦争において、「真実」を伝えるという行為がいかに危険で、そして尊いものであるかを記録する物語である。ビクトリア・ロシチナの無言の帰国は、私たちに問いかけている。この理不尽な沈黙の裏に隠された真実から、目を背けてはならないと。
ビクトリア・ロシチナとは何者だったのか
ビクトリア・ロシチナは、単なる「犠牲者」として記憶されるべき人物ではない。彼女は、暴力と嘘に対してペン一本で立ち向かった「抵抗の象徴」だった。1996年に生まれた彼女は、ロシアによるウクライナ侵略が始まると、その惨状を世界に伝えるため、フリーランスのジャーナリストとして最も危険な最前線に身を投じた。
彼女の報道は国内外で高く評価され、2022年には米国に拠点を置く「国際女性メディア財団(IWMF)」から「勇気あるジャーナリズム賞」を授与されるほどだった。彼女の書く記事は、爆撃の恐怖だけでなく、占領下で声も上げられずに苦しむ人々の日常や、戦争によって引き裂かれた家族の物語に光を当てていた。
Victoria Volodymyrivna Roshchyna was a Ukrainian journalist who reported on the Russian invasion of Ukraine and the Siege of Mariupol….
2023年夏、彼女は新たな、そして最も危険な取材計画を立てていた。目的地は、ロシア占領下の南部ザポリージャ州エネルホダル。そこには欧州最大級のザポリージャ原子力発電所があり、ロシア軍の管理下で何が起きているのか、世界が固唾をのんで見守っていた場所だ。彼女の目的は、原発職員らが次々と行方不明になっているという噂の真相を突き止めることだった。
周囲は彼女の身を案じ、この無謀とも思える計画を止めようとした。彼女の記事を掲載していた大手メディア「ウクライナ・プラウダ」のイブヘン・ブデラツキー副編集長は、「思いとどまるよう何度も説得を試みた」と証言している。ジャーナリストにこれほどのリスクを負わせることはできない、と社内でも激しい議論が巻き起こった。
しかし、ビクトリアの決意は固かった。彼女はこう答えたという。
「ほかに誰が行くのか。誰にも聞かれない人々の声を聞くのが、私の使命だ」
彼女にとってジャーナリズムとは、単なる職業ではなく、人間としての尊厳を守るための戦いそのものだった。権力が隠そうとする不都合な真実を暴き、忘れ去られようとしている人々の存在を世界に知らせる。その使命感こそが、彼女を死の淵へと向かわせた原動力だった。彼女は危険を理解していた。だが、沈黙することの罪を、それ以上に恐れていたのだ。
拘束、そして「存在しない幽霊」へ
2023年8月、ビクトリアは誰にも詳細を告げず、占領地へと向かった。そして、その直後に消息を絶った。彼女がロシア当局に拘束されたことは後に判明するが、そこから死に至るまでの日々は、まさに地獄そのものだった。
彼女の最期を解明する調査チームは、ロシア西部タガンログの刑務所で彼女と同房だった女性を探し出した。その女性の証言から、ビクトリアが受けた拷問の壮絶な実態が明らかになった。
収容所において、彼女は自身の身分を隠さなかった。一層危険な状況に陥ることを覚悟の上で、彼女は尋問官に対し、自分は「記者」であると堂々と名乗った。その瞬間から、彼女に対する扱いは熾烈を極めた。体のあちこちをナイフで切り刻まれ、電気ショックによる暴力が日常的に加えられた。与えられる食事は不衛生で、ほとんど口にすることができなかったという。
その結果、彼女の体は急速に衰弱していった。国際NPO「国境なき記者団(RSF)」とウクライナの調査報道機関による共同調査では、彼女の最期の様子が生々しく報告されている。
In a joint investigation, RSF and Ukrainian investigative outlet Slidstvo.info documented the last months of her detention, marked by inhumane conditions . Victoria Roshchyna weighed barely 30 kilograms…
Death of Ukrainian journalist Victoria Roshchyna: RSF welcomes …より引用
体重はわずか30キロまで落ち込み、独力で起き上がることさえできなくなった。しかし、彼女の精神は決して屈しなかった。ロシア側は、彼女にプロパガンダ映像への協力を強要したが、ビクトリアはそれをかたくなに拒み続けた。肉体は限界を超えていたが、彼女のジャーナリストとしての魂と尊厳は、誰にも奪わせなかった。
彼女の存在は、ロシア側にとって極めて不都合なものだった。人権監視団が刑務所を視察に訪れる際には、彼女は別の部屋に隠された。同房者の言葉を借りれば、彼女は「どこにも存在しない幽霊のような状態」で拘束されていた。公式な記録からも抹消され、生きていながらにして、この世に存在しない者にされようとしていたのだ。
それでも、彼女は生きていた。衰弱した体で、最後の抵抗を続けていた。その抵抗こそが、権力が最も恐れる「真実の目撃者」としての存在証明だった。
なぜ眼球は摘出されたのか?遺体が告発する戦争犯罪
ビクトリアの遺体から脳や眼球が摘出されていたという事実は、単に残虐な行為として片付けられる問題ではない。これは、戦争犯罪の痕跡を消し去ろうとする、冷徹で計画的な証拠隠滅であった可能性が極めて高い。
彼女の死の真相を追う同僚記者、ヤニナ・コルニエンコ氏は「遺体の欠損で死因特定は阻まれたが、絞殺の証拠隠滅が図られた可能性が高い」と指摘する。法医学の専門家によれば、絞殺された場合、眼球の白目部分に出血の痕(点状出血)が見られたり、脳が酸素不足に陥った痕跡が残ったりすることがある。これらの部位を意図的に摘出することは、死因を特定する上で最も重要な証拠を物理的に消し去る行為に他ならない。
ここに、現代の情報戦における「遺体」という物理的証拠の重要性が浮かび上がる。ロシアはプロパガンダを駆使し、自らの行動を正当化しようと試みる。拘束者の死亡についても、「病死」や「自然死」といった虚偽の情報を流すことができる。デジタル情報は容易に改ざんされ、何が真実かを見極めるのは困難だ。
しかし、声なき身体が語る「反論不可能な真実」は、どんなプロパガンダよりも雄弁だ。折れた肋骨、無数の切り傷、そして決定的な証拠を隠すために奪われた臓器。これらは、ビクトリアが受けた非人道的な扱いと、彼女を死に至らしめた暴力の動かぬ証拠となる。ロシア側が彼女の遺体を損壊してまで隠したかったのは、単なる死因ではない。国際法に違反する拷問と殺害という、紛れもない戦争犯罪の事実そのものだったのだ。
ビクトリア・ロシチナの遺体は、沈黙させられたジャーナリストが放つ最後のスクープである。それは、ロシアという国家が、真実を語る者をいかに恐れ、その声を封じ込めるためなら、いかなる非道な手段も厭わないという事実を、全世界に突きつけている。
「裁きを与えるまで」―受け継がれる調査報道のバトン
ビクトリアの死は、一つの悲劇的な終わりではなかった。それは、真実を求める新たな戦いの始まりを告げる号砲となった。彼女の同僚や友人であるジャーナリストたちは、深い悲しみを怒りと使命感に変え、彼女の最期を明らかにするための調査に乗り出した。
調査は困難を極めた。ヤニナ・コルニエンコ記者が「最初は雲をつかむような状況から始まった」と語るように、占領下での情報収集は命がけの作業だ。しかし、彼らは諦めなかった。占領地の住民から丹念に目撃情報を集め、彼女が拘束された経緯を突き止め、タガンログの刑務所で同房だった証人を探し出した。
最近、その調査に新たな展開があった。ビクトリアがタガンログの後、さらにロシア奥地の刑務所に移送されていたことが判明したのだ。当初、彼女の名前は捕虜交換のリストに載っていたとされていた。しかし、奥地への移送は、ロシア側に彼女を解放する意思が全くなかったことを意味する。これは、彼女の死が偶発的なものではなく、意図的に引き起こされた可能性を強く示唆している。
コルニエンコ記者は、その決意を力強く語る。
「最終的に死に至らしめた者はそこにいる。実名で責任の所在を追及し、司法の裁きを与えるまで調査を続ける」
この言葉は、ビクトリア一人のための復讐ではない。これは、権力によって闇に葬られようとしている全ての真実のための戦いだ。彼女の死は、ウクライナのジャーナリストコミュニティに恐怖を植え付けたかもしれない。しかし同時に、彼らの結束をより強固なものにした。ビクトリアが灯した「真実の灯火」を消してはならない。その思いが、彼らを突き動かしている。
ビクトリアが命がけで渡そうとしたバトンは、確かに仲間たちの手に渡された。この調査報道そのものが、暴力に対する最も力強い抵抗となっているのだ。
私たちは彼女の死から何を記憶すべきか
ビクトリア・ロシチナの物語は、遠い国で起きた一つの悲劇ではない。それは、情報が氾濫し、何が真実かを見極めることが困難な時代を生きる私たち全員に、重い問いを投げかけている。
彼女は、ただ殺されたのではない。彼女は、真実を語ろうとしたから殺された。権力にとって最も都合の悪い存在、すなわち、その嘘と暴力を記録し、告発するジャーナリストであったからこそ、標的とされたのだ。彼女の死は、報道の自由が、単なる理念ではなく、時に命を懸けて守らなければならない、民主主義社会の生命線であることを痛感させる。
私たちは彼女の死に、悲しみや怒りを感じるだろう。しかし、それだけで終わらせてはならない。私たちは、彼女が問い続けた「ほかに誰が行くのか?」という言葉を、自分自身に向けなければならない。もちろん、誰もが彼女のように最前線に行くことはできない。しかし、私たちにできることはある。
それは、彼女のようなジャーナリストが命がけで伝えた情報に真摯に耳を傾け、その背景にあるものを考え、そして忘れないことだ。プロパガンダやフェイクニュースに惑わされず、事実に基づいた報道の価値を認識し、それを支えること。それが、情報化社会に生きる市民の責任であり、暴力に対するささやかで、しかし確実な抵抗となる。
ビクトリア・ロシチナの遺体は、声なき告発者として私たちの前に横たわっている。彼女の眼球は奪われたが、その真実を見つめるジャーナリストとしての眼差しは、彼女の遺志を継ぐ者たちの中に、そしてこの記事を読むあなたの心の中に、生き続けている。彼女の名前と、彼女が貫いた不屈の精神を記憶し、語り継ぐこと。それこそが、彼女の死を無駄にせず、暴力が真実に勝利することのない世界を作るための、私たちの第一歩なのだ。
📚 参考情報・出典
- Body of Ukrainian journalist who died in Russian detention …
- ‘Numerous signs of torture’: a Ukrainian journalist’s …
- RSF reveals the brutal reality of Victoria Roshchyna’s last …
- 女性記者の遺体に隠せぬ拷問痕、眼球など摘出し証拠隠滅か …
- 監禁死の女性記者と別れ ウクライナ、占領地を取材中拘束
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