プロローグ:雨上がりの夕暮れ、目に飛び込んだ「違和感」とは?
それは、雨上がりの夕暮れ時、スーパーからの帰り道でした。ひときわ目を引く、あの堂々たるたたずまい。磨き上げられた漆黒のボディ、鈍く光るメッキのグリル……そうです、新型アルファード。その高級車が、信じられないことに、市営住宅の駐車場に静かに停まっていたのです。
この瞬間、あなたの心に、小さな、しかし確かな疑問の棘が刺さったのではないでしょうか。『低所得者向けの市営住宅に、なぜ、600万円以上もする高級車が?』この一枚の絵が、私たち自身の「公平さ」に対する感覚を揺さぶる、知的な冒険の始まりです。
第1幕:公営住宅、その「崇高な理想」と「厳格なルール」の交差点
まず、この「違和感」の根源にある制度、公営住宅について理解を深めましょう。公営住宅は、国と地方公共団体が協力し、住宅に困窮する低額所得者に対し、低廉な家賃で住居を提供するという、極めて崇高な理念のもとに設立されています。
公営住宅制度は、国及び地方公共団体が協力して、健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を整備し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸し、…
その目的を達成するため、公営住宅への入居には厳格な条件が設けられています。主な条件は以下の通りです。
- 住宅困窮者であること: 現在、持ち家がないことや、劣悪な住宅環境にいることなどが求められます。
- 所得基準を満たすこと: 世帯全体の収入が、国や自治体が定める基準以下である必要があります。例えば、多くの自治体で世帯の月額所得が15万8千円以下(裁量階層世帯を除く)といった基準が設けられています。この所得は、一般的に言われる「手取り額」とは異なり、年間総所得から所定の控除を差し引いて算出されます。
- 持ち家がないこと: 原則として、申込者本人や同居する親族が持ち家を所有していないことが条件です。
市営住宅へ入居するには、次の要件をすべて満たす人に限ります。
1.現在、住宅に困っている人(持ち家を持っている人又は現在市営住宅に住んでいる人は原則…)
原則として、入居者全員の所得の合計が月額158,000円以下の世帯に限り申込むことができます。
これらのルールは、限られた社会資源を本当に困っている人々に届けるための、公正な運用を目指すものです。
第2幕:高級車「アルファード」と「低所得」というパラドックスは、なぜ合法なのか?
では、なぜこの厳格なルールがあるにも関わらず、高級車が公営住宅に存在しうるのでしょうか。その答えは、現行の法制度にあります。
驚くべきことに、公営住宅法や関連法令には、入居者の「車の所有」そのものを禁じる規定は存在しません。さらに言えば、所有できる車の「車種」や「価格」に制限を設ける法的根拠もありません。地方自治法に定められた地方公共団体の条例や規則にも、通常、このような具体的な車両に関する制限は盛り込まれていません。
公営住宅の入居者決定にあたっては、住宅に困窮する実情を調査して、政令で定める選考基準に従い、条例で定めるところにより、公正な方法で選考して、当該公営住宅の入居者を決定しなければならない。
選考基準は主に「住宅困窮度」と「所得」に焦点が当てられており、個人の所有する動産、特に車の種類までは踏み込んでいないのです。
この背景には、いくつかの理由が考えられます。
- 私有財産の尊重: 国が個人の所有物に対し、過度な制限を設けることは、憲法で保障された私有財産権との兼ね合いで非常に困難です。
- 資産把握の難しさ: 車の価格は新車か中古車か、購入方法(一括かローンか)によって大きく変動します。また、所得と異なり、車の価値やローン状況を継続的に、かつ公正に把握し続けることは、行政にとって膨大なコストと手間を伴います。
- 必要性の多様性: 特に地方においては、公共交通機関が不十分な地域も多く、移動手段として車が生活必需品である場合がほとんどです。一律に車種や価格で制限を設けることは、入居者の生活を不当に阻害する可能性もあります。
つまり、制度上は「所得」が基準であり、「車の種類」は基準ではないため、法的には全く問題ないということになるのです。しかし、私たちの感情が「違和感」を覚えるのはなぜでしょうか。
【深掘り】「高級車=裕福」という常識の裏にある、もう一つの物語とは?
ここに、私たちの抱く「高級車=裕福」という常識と、社会の複雑な現実との間に潜むギャップがあります。公営住宅に高級車があるという「パラドックス」には、表面的な印象だけでは見えない、多様な背景が存在し得ます。
- ローン購入という選択肢:
現在、年収の中央値が400万円台前半(厚生労働省「国民生活基礎調査」より、2022年の世帯平均所得は524万円)である現代社会において、600万円を超える高級車を一括で購入できる人は決して多くありません。多くの場合、ローンを組んで購入します。購入時にはまとまった貯蓄や安定した収入があったとしても、その後、病気や失業、事業の失敗などで所得が大幅に減少するケースは少なくありません。公営住宅への入居は、そうした「一時的な所得低下」や「予期せぬ経済状況の変化」の結果として起こりえます。全世帯の約半分にあたる48.9%が400万円以下の所得にとどまっていて、次いで500万円〜800万円未満の世帯が約20.7%
中央値(所得を低いものから高いものへと順に並べて2等分する境界値)は400万円台前半
- 事業用途・家族構成の変化:
個人事業主の場合、高級車であっても事業上の必要経費として購入している場合があります。例えば、送迎サービス、運搬業、あるいは顧客への印象維持などが挙げられます。また、大家族で荷物が多い場合など、移動手段としてミニバンタイプの車が必須であり、その中で中古の高級車を選択するケースも考えられます。 - 地方における車の必要性:
都市部と異なり、地方では公共交通機関が発達していない地域が多く、車は生活に不可欠なインフラです。通勤、通院、買い物、子どもの送迎など、あらゆる場面で車が必須となるため、車を所有せざるを得ない状況があります。 - 「心の豊かさ」としての価値観:
物質的な豊かさを失っても、過去の成功の象徴や、唯一の趣味、あるいは精神的な支えとして、愛着のある車を手放せないと考える人もいるかもしれません。経済的に困窮していても、人生の最後に残った「心の豊かさ」を守ろうとする、人間的な選択と見ることもできます。高級車の定義自体も曖昧であり、ある人にとっては高級でも、別の人にとっては単なる移動手段に過ぎないという価値観の多様性も存在します。
これらの背景は、私たちが安易に「ずるい」「不公平だ」と決めつける前に、一人ひとりの人生に複雑な事情があることを示唆しています。
第3幕:制度の「盲点」か、それとも「社会の縮図」か?~見過ごされた「資産」の壁~
しかし、それでもなお、「本当に困っている人が優先されるべきでは?」という疑問は残ります。この問いを深掘りすると、現行制度の抱える課題が見えてきます。
入居後の収入変動への対応
公営住宅は一度入居すると、期間の定めのない賃貸借契約となることが多く、長期にわたって居住することが可能です。そのため、入居後に収入が増加するケースも当然出てきます。
制度には、こうした状況に対応するための仕組みが存在します。
- 収入超過者:
3年以上入居し、入居収入基準を超える収入がある世帯は「収入超過者」と認定され、段階的に家賃が引き上げられ、明渡努力義務が発生します。これは「住み続けられるけれども、本来の趣旨から外れるので、別の住居を探してください」という促しです。収入超過者 3年以上入居し、入居収入基準を超える収入 のある者 →明渡努力義務が発生
- 高額所得者:
さらに5年以上入居し、2年連続で月収が一定基準(約31万3千円)を超える世帯は「高額所得者」と認定され、市場家賃に近い家賃が課され、明渡しを請求されることがあります。公営住宅に入居する際には前記の入居者資格を備えていた者も、その後、収入が増加し、政令月収を超える場合がある。そこで、法令等において、政令月収を超える収入がある入居者については、その入居年数及び収入超過…
しかし、これらの措置はあくまで「所得」に着目したものであり、高級車のような「資産」の変動には直接対応していません。また、明渡請求には、信頼関係の破壊など、厳しい要件が伴うため、実際に立ち退きを強制することは容易ではありません。
「所得」と「資産」の壁
根本的な問題は、現行制度が「所得」を主要な判断基準としている一方で、「資産」に対するチェックが手薄になりがちである点にあります。
- 所得の把握: 課税証明書や納税証明書などを用いて、比較的に正確に把握が可能です。
- 資産の把握の難しさ: 現金、預貯金、有価証券、動産(車、貴金属など)といった資産は、その全容を行政が把握することは極めて困難です。プライバシーの問題もあり、網羅的な調査は現実的ではありません。
収入だけでなく、資産も考慮する。基準を誰にでもわかりやすい、シンプルなものにする。
この「資産」と「所得」の間の隔たりが、私たちの「違和感」を増幅させる要因です。例えば、高齢者世帯の中には、年金収入は少ないものの、長年住んだ持ち家や多額の貯蓄を持つ人も少なくありません。反対に、所得は比較的あるものの、多額の借金を抱え、資産がほとんどない若年層もいます。
資産格差の水準は所得格差と比べ大きい
公営住宅制度は「所得」にフォーカスすることで、効率的な運用を目指していますが、その結果として、「所得は低いが、高価な資産を持つ」という、一見すると制度の趣旨に反するような状況が生じうる「盲点」となっている側面も否めません。
エピローグ:問われるのは「個人のモラル」か、「社会の設計思想」か?
結局のところ、公営住宅に高級車が停まっているという光景は、私たちに何を示しているのでしょうか。
それは、単純な「不正」や「ずるさ」で片付けられない、現代社会の複雑な「公平性」の問いかけです。
- 個人のモラルの問題なのか?
「低所得者」と認定されつつも高級車を所有する人々は、制度の「抜け穴」を意図的に利用しているのでしょうか? あるいは、生活のために最低限の衣食住を確保した上で、残された資金で唯一の「心の豊かさ」を守っているだけなのでしょうか? - 社会の設計思想の問題なのか?
そもそも、国の制度はどこまで個人の資産や生活様式に踏み込むべきなのでしょうか? 「住宅に困窮する低額所得者」という定義は、車の所有を含めてどこまで厳密に解釈されるべきなのでしょうか? 所得は変動するものであり、資産は多様な形態を取ります。その全てを画一的な基準で縛ることは、かえって個人の尊厳や自由を侵すことにならないでしょうか?
この問いは、公営住宅制度の枠を超え、現代社会における「貧困」や「豊かさ」、そして「公平性」が持つ、多層的な側面を浮き彫りにします。
「住宅困窮者」の定義は、時代と共に変化すべきかもしれません。「低所得」の概念も、単なる収入だけでなく、資産状況やライフスタイル全体を包括的に捉える視点が必要とされているのかもしれません。同時に、制度の運用の透明性や、市民による監視の目も重要です。
雨上がりの夕暮れ、市営住宅に停まる一台のアルファードが突きつけた疑問は、私たち自身の社会に対する感性、そして未来の社会をどう設計していくべきかという、深遠な問いかけなのです。あなたは、この光景に、何を考え、何を提案しますか?
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